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HISTORY 医療用ベッドのパイオニア、パラマウントベッドの電動ベッド技術開発の歴史

木村隆輔社長と、創業期の社員たち

日本で初めて電動ベッドなどを製品化

アジャスタブルベッド KA-22の画像 アジャスタブルベッド KA-22

1955〜1960

日本人の体格に合わせた
ギャッチベッドを自社開発。[アジャスタブルベッド KA-22]

当時、背あげや膝あげが無段階に調節できる「ギャッチベッド」は、ほとんどが進駐軍の病院から払い下げられた中古品で、アメリカの医療制度やアメリカ人の体格に合わせて製造されているため、国内でそのまま使うには不適当な点が少なくありませんでした。そこで、木村寝台工業(現:パラマウントベッド)の創業者木村隆輔は自ら開発責任者となって、日本の医療・看護システムや日本人の体格・体型や嗜好に合わせたギャッチベッドを開発しました。このベッドは、パラマウント・ブランドのギャッチベッド[アジャスタブルベッド KA-22]として発表されました。1960年までの5年間にKA-22をはじめとしてオリジナルの[アジャスタブルベッド]5種をラインアップしました。※従来のボトム面が固定された医療用ベッドと違い、背部や脚部の角度を自在に調節できるベッドのこと。アメリカの外科医ギャッチが開発したことから、この名前がつけられました。

1962

国産第1号となる電動ベッドを開発し、
医療スタッフの負担を軽減。[電動式アジャスタブルベッド KA-45]

患者の意向よりも医療従事者の意見が尊重されがちな時代にあって、木村隆輔は患者ができるだけ安楽・快適に療養生活を送ることが医療用ベッドの開発のうえで重要な要素になると考えました。そこで木村は、すでにアメリカの一部では採用されはじめていた「電動ベッド」に、いち早く注目しました。開発は1960年に始まり、アメリカから文献を取り寄せるなどして研究を続けた結果、ついに電動ベッドの国産第1号となる[電動式アジャスタブルベッド KA-45]の開発に成功しました。患者自身が手元スイッチのボタン操作で背部や脚部の角度を自在に調整できるため、手動式のギャッチベッドの操作と異なり、医療スタッフの手間をはぶくことができます。さらに、木村ははやくから製品デザインへの高い意識を持っており、ベッドの脚部にデコラ化粧板を取り付けるなどして、デザインにも注力しました。また、このベッドの幅91cm、長さ191cmというサイズは、現在の医療・介護用ベッドにも受け継がれています。

KA-45電動式アジャスタブルベッドの画像 電動式アジャスタブルベッド KA-45
グランプリ64シリーズ(KA-102背上式)の画像 グランプリ64シリーズ(KA-102背上式)

1964

国内医療用ベッドの事実上の規格をつくる。[グランプリ64シリーズ]

電動リモートコントロールベッドの開発で自信を持った当社は、1964年1月、木村隆輔の独自のアイディアによる4種の新製品を[グランプリ64シリーズ]として発表しました。このシリーズの特徴は、ベッドのサイドフレームにベッドサイドレールなどの付属品用取付孔を初めて設置したことです。この取付孔によって、ベッド周りでスペースをあまり取らず、ベッドサイドレールやテーブル、のちにIV(点滴)ポールなど、さまざまな付属品を取り付けることが可能になりました。従来型のベッドではベッドサイドレールが必要になれば後付けになるので、その分さらに幅を取ったのに対して、欧米に比べて狭いとされる日本の医療施設の病室環境に適合する「省スペース設計」を実現しました。[グランプリ64シリーズ]は発売後たちまち主力製品となり、その後、他メーカーが続々と追随品を投入したため、国内医療用ベッドの事実上の標準となり、のちにJIS規格の原型ともなりました。